宿屋形

屋形の歴史

兵庫県神崎郡市川町、​屋形​(やかた)。
​「屋形」と​いう​言葉は、​武家の​館​(やかた)を​指します。​ 中世、​この​地に​武家の​屋敷が​構えられた​ことが、​村の​名前の​はじまりと​伝えられています。​

戦国時代——館が、村になった

播磨を​治めた​赤松氏は​「御屋形様​(おやかたさま)」と​呼ばれ、​市川一帯を​支配していました。​集落の​東には、​今も​土塁​(どる​い)に​囲まれた​戦国時代の​屋敷跡​「カマヤの​グロ」が​残っています。​「カマヤ」とは​「構え屋敷​(か​まえや​しき)」が​訛った​もの。​屋形と​いう​地名​その​ものが、​中世の​記憶を​宿しています。​

江戸時代——街道の宿場として

江戸時代、​「播磨国神東郡屋形村」と​して​記録に​現れた​屋形は、​北の​山と​南の​港を​結ぶ​街道の​中継地でした。​北からは​旅人や​荷物が​行き交い、​村には​旅館や​商店が​軒を​連ねました。​石神神社の​本殿が​1654年に​建てられ、​地蔵尊が​1725年に​祀られた​——信仰の​場も、​この​時代に​根を​張っています。​

明治時代——銀の馬車道が通った

1876​(明治9)年、​生野の​銀を​姫路へ​運ぶ​「銀の​馬車道」が​完成しました。​村人の​陳情に​よって​ルートが​屋形を​通る​ことに​なり、​宿場町は​最盛期を​迎えます。​旅館9軒、​酒店6軒——播但地域でもっとも​栄えた​宿場町の​ひとつでした。​

現在の屋形——残ったものを、記録する

時代が​変わり、​鉄道が​馬車道に​取って​代わると、​旅館も​酒店も​姿を​消しました。​けれど屋形には、​今も​毎年​夏に​なると​地蔵盆が​訪れます。​提灯が​灯り、​大数珠が​頭上を​渡り、​夜の​道に​光が​並ぶ——それは、​人が​ここで​暮らし続けてきた​ことの、​いちばん静かな​証明です。​