兵庫県神崎郡市川町、屋形(やかた)。 かつて生野鉱山の銀を姫路港まで運んだ「銀の馬車道」が、村人の陳情によってこの集落を通ることになった。 それが、屋形の物語の始まりです。
江戸時代の屋形は、北部の鉱山と播磨の港を結ぶ重要な中継地でした。銀の輸送ルート沿いに位置していたため、役人の往来も多く、街道沿いには旅館・酒店・日用品店が軒を連ねていたといいます。
1876(明治9)年に「生野鉱山寮馬車道」(のちの銀の馬車道)が完成すると、屋形は最盛期を迎えました。記録には、旅館9軒、酒店6軒、金貸し3人、その他多くの日用品店が並んでいたとあります。播但地域でもっとも栄えた宿場町のひとつでした。
時代が変わり、馬車道は鉄道に取って代わられ、旅館も酒店も姿を消しました。けれど屋形には、今も毎年夏になると地蔵盆が訪れます。提灯が灯り、子どもたちにお菓子が配られ、夜の道に小さな光が並ぶ——それは、人がここで暮らし続けてきたことの、いちばん静かな証明です。
何もなくなったわけではありません。残ったものを、私たちはここに記録します。